2015年4月2日木曜日

自閉症とイマジネーションと数字について (世界自閉症啓発デーコラボ記事)

ここの方で、自前の記事を書くのは初めてになりますね。Twitterではいつもあれこれと書いたりRTをしたりなのですが。



Twitterでいつも読ませてもらっているなないおさんがこんな企画をされていました。

【募集!】4月2日の世界自閉症啓発デーに向けて啓発記事をコラボしませんか?

一般的な自閉症の記事については大勢の方がもう書いていらっしゃるので、自閉症をはじめとした発達障害の早期相談・療育機関である療育センターに少し前まで勤めていた心理士として、ややバッサリ目の話を行き当たりばったりに書こうかと思います。締め切りをもう過ぎている気もしますけど…



自閉症というものの最も大きな特徴は、人の性格や心理状態、病気、障害などを表すさまざまな言葉のうちで、知っている人の抱くイメージと、知らない人の抱くイメージが大きくかけ離れていることが挙げられるでしょう。

知らない人からすると、気持ちが落ち込んでふさぎこんでいる状態・一人にしておいて欲しい状態を「自閉症ぽくなった」と言うようなイメージだったり、引きこもり状態にあることを「○○さんちの子が自閉症で学校に行かないのよ」と言うようにうわさしたりすることも多いのではないでしょうか。

ちょっと知っているつもりの人からすると、電車の中や駅などで(知らない人から見ると)不審な動きをしている人が「自閉症」の典型的な例かもしれませんし、あるいはネットの一部で悪口として頻用されている「アスペ」こそが発達障害の中心で、自閉症そのものだ、と思っている人もいるかもしれません。

そして、今回さまざまな記事を書かれている保護者の方・当事者の方は、とても深い知識を持っていて、たとえば自閉症の早期発見に携わるはずの保健師さんなんかよりもはるかに詳しいことも珍しくないでしょう。



さて、今回の企画は「啓発」ということなので、自閉症について広く知ってもらうこと、正しい知識を広めることが目的となるのですが、どうしてわざわざ啓発しないといけないほど、人によってイメージがバラバラで、正確な知識が知られていないのでしょうか?

私の思うところでは、一つには自閉症的な特性を持つ人があまりにも多いのと同時に、もう一つには、自閉症というものが本質的にはとても重い、シビアな障害だから、というのが仮説です。



お医者さんによっては、自閉症的な傾向を持つ人はその程度のごく軽い人まで含めれば、10人に1人にものぼる、という説を唱えている先生がいます。さまざまな調査結果があり、その一つは「医師による診断ではない」「教育現場での水増しだ」とよく批判されていますが、小学校の通常級に6%程度発達障害特性を持つ子どもがいるという説もあります。6%というのは、33人のクラスに2人ぐらいいる、というレベルです。
ちなみに、特に自閉症とは全く関係がないのですが、干支や星座は均等に分散していると考えるならそれぞれ約8%、血液型はAB型が約10%ぐらいです。割合としてはおなじぐらいですね。

その一方で、重度の自閉症を抱える子ども・大人に対して、適切な関わり方ができる人は極めて少ないのではないでしょうか。どのぐらい少ないかというと、専門の施設や特別支援学校・支援団体などですら、不適切な対応・虐待・事故がおきるぐらいに、難しいことです。
重度の自閉症を抱える子どもは0.1%かもう少し多いぐらい、と考えられていますがそうしたタイプの子どもや大人とどうやって関わると良いかについて、専門的な知識と経験を身につけられる職業について、適切な経験を積める人はどれぐらいいるでしょうか。
ちなみに、これも特に自閉症とは全く関係がないのですが、血液型がRh(ー)の人は0.5%ぐらい、AB型でかつRh(ー)の人は0.05%ぐらい、という数字もありますね。あと、母子手帳に赤ちゃんのウンチの色を見るためのカラーチャートが載っていますが、あれを手掛かりに早期発見が期待される先天性胆道閉鎖症の発症率はおよそ0.01%ぐらいということですね。


私たちは、自閉症とはどういうことか、日常的な生活の中での感覚としてよくわかるようなところもあるし、あるいは全くわからなかったりもします。そして、私たち心理士のようにさまざまなタイプの自閉症のお子さんやそうでないお子さんを大勢見る場合以外には、「自閉症」という言葉と人生の中で出会うことは多分多くないことでしょう。出会い方次第では、とても深い知識をもつようになるし、出会い方次第では偏見を抱くだけになることも無理もないのだと思います。


どうすれば、こうした自分の知っている数少ない例だけを判断材料にすることなく、自閉症という言葉のもつ広い意味合いについてまるごとつかんでいくことができるか、そこはひとえにイマジネーションの働きにかかっているのではないでしょうか。
世界には私たちが思いもよらないような様々な生活習慣や文化を持った人たちが何十億人と住んでいます。その自分とは異なる生活習慣・文化を、たとえそれまでに聞いたことがなくても出会ったときに尊重して受け入れられるかどうか、たぶん簡単なことではありません。そして、ある文化について、たとえばアメリカ文化に慣れ親しんだらそれでインターナショナルな理解が身についたと言えるかといえば、そうではないでしょう。
多様な世界を、あまねく理解することは、全知の神さまにしかできないことでしょうし、あるいはそうした全てを見通すような理解を夢見て、マンダラのイメージを描くのかもしれません。


しかし、私たち人は、全知の神にはなれない代わりに、とても有効な武器を一つ、持っていると私は思います。
数字です。
世の中にいろんな血液型の人がいる、そのことを私たちは直感的に把握することは簡単ではありません。でも、「A型が4割、O型が3割、B型が2割、AB型が1割」といえばどうでしょうか。人によっては、頭の中で簡略化された人が5人ずつ2列で10人思い浮かんで、4人と1人、3人と2人と別れるように色分けされたり、文字が一緒に浮かんで見えるかもしれません。
もちろん、数が苦手な人もいます。数を聞いて頭の中で思い浮かべるなんて何を言っているかわからない、という人もおおいことでしょう。


一般的に、自閉症特性を持っていると、頭の中でイマジネーションを広げること、見たことのないものを言葉を元に思い描くことを苦手としていると言われています。しかし、その一方で、数にとても強い興味を持ち、直感的な数の理解力について極めて高い能力を持っている人もいますし、もちろんスペクトラム上に、まぁまぁ数が得意な人、ちょっとは数が得意な人、いろんな人がいることでしょう。


私たちはどうしたって不完全で、得意とする見方、苦手な見方がでてくるものです。でも、世の中にはいろんな見方があること、別の見方をすることで見えてくる世界の広さや豊かさがあると思い浮かべられれば、他者を攻撃するよりも、ほどほどの距離を持って共存していけるようにはならないでしょうか?
世界中にある国の数はおよそ200前後ぐらい、すなわち一つの国は世界の0.5%ぐらいと言えるかもしれません。あるいは、3000超あると言われる民族については、それぞれが世界の0.03%ぐらいと言えるかもしれません。


私が4月から新しい職場に異動した中で、一つとても感慨深い言葉をいただきました。
「ここには『普通』の人なんて一人も来ない」と。
そこは知らない人にとっては恐ろしいようなごく特別な専門機関ではなくて、その反対に、極端な生活・養育環境の厳しさがない限りは、誰もが何かの形で通っている建物・窓口なのですが。

どうか、自閉症ということについて、いろんな方が今持っている色眼鏡以外のメガネをレパートリーに加えられること、そして世の中には無数のメガネがあることが、少しでも知られていけばと思い、書きました。
まとまりませんが。

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